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最高裁判所第二小法廷 平成元年(オ)1792号 判決

上告人

織田邦男

右訴訟代理人弁護士

森永友健

被上告人

真山巌

右訴訟代理人弁護士

永野謙丸

真山泰

茶谷篤

吉増泰實

柴田幸一郎

主文

原判決中上告人敗訴部分を破棄する。

前項の部分につき被上告人の控訴を棄却する。

控訴費用及び上告費用は被上告人の負担とする。

理由

上告代理人森永友健の上告理由第一章について

一  原審の適法に確定した事実関係は、次のとおりである。

1  上告人は、東京都中野区中野五丁目一四五番一三の土地及び同土地上の建物を所有して同建物に居住し、被上告人は、同番一の土地(被上告人の妻の母親の所有)上の東端の建物を所有して同建物に居住し、訴外金子芳江及び同中澤なおみは、同番三九の土地及び同土地上の建物を共有し、金子は同建物に居住している。右三筆の土地及び各土地上の建物の位置関係、形状は別紙図面のとおりであるところ、同番一三及び同番一の各土地と同番三九の土地の境界を中心線として、その両側に水平距離二メートルの範囲の土地(同図面の斜線部分)は、建築基準法四二条二項に規定する指定により同条一項の道路とみなされている(以下、これを「本件道路指定土地」という。)。

2  被上告人が同番一の土地上に前記建物を建築して同建物に居住するようになった当時、既に同番一三の土地上には上告人所有の旧建物があり、本件道路指定土地の中心線からブロック二枚分の幅ほど北側に寄った位置に塀が設けられていた。上告人は、昭和六一年七月ころ旧建物を取り壊して建物を新築することとし、昭和六二年二月ころまでに現在の建物の新築を終えたが、その際、従前の塀を取り壊して、その位置からブロック二枚分の幅ほど南側に張り出した位置(本件道路指定土地の中心線にほぼ沿った位置)にブロック塀を新設する工事に着手したところ、中野区役所建築課の職員から、本件道路指定土地内にブロック塀を設置することは許されないと通告された。しかし、上告人は予定どおり工事を強行しようとしたため、中野区長は工事の停止を命じたが、上告人は、右工事停止命令に従わず、昭和六二年三月ころ、同番一三の土地と各隣接土地との境界にほぼ沿った位置にブロック塀を設置した(同図面記載のとおり。以下「本件ブロック塀」という。)。

3  本件道路指定土地の中心線から南側に幅員約三メートルの通路状の土地部分(金子と中澤の共有に係る同番三九の土地の一部)がある。

二  原審は、右事実関係の下において、(一) 一般人は、建築基準法四二条二項の指定がされた道路を自由に通行し、関係者・関係行政庁の右道路を使用してのサービスの提供を受けることができるところ、道路の通行等への利用は、右指定による反射的な利益であるけれども、被上告人にとっては、同時に民法上保護に値する自由権(人格権)の重要な内容をなすから、右権利に基づいてその妨害の排除、予防を請求することができる、(二) 本件では、上告人が本件ブロック塀を設置して、被上告人の前記の自由権(人格権)を侵害しているのに、特定行政庁(中野区長)は、二年以上もの間にわたり、工事停止命令の一部違反の状態を放置しており、その結果、被上告人は、生命、健康、財産の保護を全うされない状況下に置かれているのであるから、右自由権(人格権)に基づき本件ブロック塀の収去を請求できる、(三) 本件ブロック塀の外側(南側)に約三メートル幅の通路状の土地部分があることは、右自由権(人格権)に基づく被上告人の妨害排除請求を妨げるに足りないと説示して、被上告人の本件請求のうち本件ブロック塀の収去を求める請求を認容すべきものと判断した。

三  しかしながら、原審の右判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。

上告人は、建築基準法四二条二項に規定する指定がされた本件道路指定土地内に同法四四条一項に違反する建築物である本件ブロック塀を設置したものであるが、このことから直ちに、本件道路指定土地に隣接する土地の地上建物の所有者である被上告人に、本件ブロック塀の収去を求める私法上の権利があるということはできない。原審は、これを肯定する理由として、被上告人の人格権としての自由権が侵害されたとするが、前示事実関係によれば、本件ブロック塀の内側に位置する上告人の所有地のうち、上告人が従前設置していた塀の内側の部分は、現実に道路として開設されておらず、被上告人が通行していたわけではないから、右部分については、自由に通行し得るという反射的利益自体が生じていないというべきであるし(最高裁昭和六二年(オ)第七四一号平成三年四月一九日第二小法廷判決・裁判集民事一六二号四八九頁参照)、また本件ブロック塀の設置により既存の通路の幅員が狭められた範囲はブロック二枚分の幅の程度にとどまり、本件ブロック塀の外側(南側)には公道に通ずる通路があるというのであるから、被上告人の日常生活に支障が生じたとはいえないことが明らかであり、本件ブロック塀が設置されたことにより被上告人の人格的利益が侵害されたものとは解し難い。

そうすると、同法四二条二項に規定する指定がされた土地を通行等に利用することが、特定の私人にとっては、自由権(人格権)として民法上の保護に値するとする原審の判断の理論的当否について論ずるまでもなく、被上告人の人格権が侵害されたことを前提として被上告人の本訴請求のうち妨害排除請求を認容すべきものとした原審の判断には、法令の解釈適用を誤った違法があり、この違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。論旨は理由があり、他の上告理由について判断するまでもなく、原判決中上告人敗訴部分は破棄を免れない。そして、前記説示に徴すれば、被上告人の妨害排除請求は理由がないことに帰し、これと結論を同じくする第一審判決は正当であるから、右部分に関する被上告人の控訴は、理由がなく、これを棄却すべきものである。

よって、民訴法四〇八条、三九六条、三八四条、九六条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官藤島昭 裁判官中島敏次郎 裁判官木崎良平 裁判官大西勝也)

上告代理人森永友健の上告理由

第一章 通行の自由権に関する上告理由

序 本章はまず第一に原審がどのような判断をしたかを検討、確定し(第一項、第二項)、ついでその判断に対する上告理由を述べることとする(第三項、第四項、第五項)。ただ建築基準法第一条の趣旨についての反論は論旨展開の都合上第六項になった。

第一(法定幅員四メートルの欠損、それ自体が侵害事実そのもの――原審判断その一)

一 原審は、被上告人の通行を阻害する事実(以下単に侵害事実と謂う)としては、本件ブロック塀の設置により建築基準法の定める道路幅員が実現していないことの一事実のみを認定している。そしてその結果として法定幅員の授ける居住環境を享受できていないとする。即ち「本件ブロック塀が設置される経緯を認定した後)右のような、被控訴人の行なった違法な本件ブロック塀の設置により、控訴人はもとより、被控訴人の隣接地上の居住者らは、本件道路を建築基準法が道路幅員を定めることによって維持しようと意図した安全で良好な居住環境は実現されず、そのため関係の住民は、その結果として享受できるはずの右の居住環境を享受できないでいる」(判決七丁表)と事実関係を認定しており、この他に侵害事実を具体的に認定している箇所はない。右認定は、本件ブロック塀により本件道路は建築基準法の定める四メートルの幅員を欠損しており、そのことが直ちに(いわば法定の)居住環境侵害事実ことにも通行侵害事実そのものであるとしているのである。つづめて言えば「法定幅員欠損即ち通行侵害事実」と即断しているのである。そしてその他に、被上告人の本件道路の通行を侵害する事実を具体的には認定していない。

そして、右認定事実を前提に、被上告人の妨害排除請求を認めるかどうかについて検討している。その中心部分は建築基準法四二条二項の指定による道路の通行等の利用は同指定による反射的な利益であるが、それが「たとい反射的利益ではあっても、同時に民法上保護に値する自由権(人格権)の重要な内容をなすものであるから、右権利に基づいて、その妨害を排除、予防することができる」(八丁裏)とするところにある。実はこの表現だけでは、だからといって法定幅員そのものを丸々保護されるべき権利の内容としているのかどうか明言的には述べていないのであるが、これに次いで「建築基準法の定める最低の基準さえ守らず…、生命、健康、財産の保護を全うされない状況下に置かれている」(九丁表)と文章が続き、本件ブロック塀の撤去をして法定幅員の実現を命じているのであるから、つまりは民法上保護する通行の自由権の内容とは、建築基準法の法定幅員そのものであると断じていることになる。

このように原判決はその設定事実の中では、具体的な侵害事実を三メートルの幅員それ自体と認定し、請求の検討の部分で法定幅員の欠損を権利侵害と評価し、四メートルの幅員の確保を命じているから、その論旨が「建築基準法四二条二項の反射的利益であって民法上保護される権利、ことにも通行の権利の具体的内容とは即ち建築基準法の定める法定幅員の四メートル道路での通行権である。従って四メートルの欠損事実そのものが権利侵害事実である」と理解できる。

二 左記に挙げる部分も、原審の判断を右のような結論と理解するのに沿うものである。

すなわち

イ 「更に、控訴人が公道に出ることが可能であるとしても、控訴人の前記自由権の円滑、十全の行使が阻害されていることは、前記のとおりであるから、控訴人の右の請求を妨げるに足りない」(一〇丁表)と述べられているが、この部分を検討してみるに、ここには控訴人が公道に出ることを阻害している何か具体的な事実を捉えているところはどこにもなく、要するに四メートル道路の通行が保護されるべきところ、四メートルという数字から見れば、三メートルは不足であるというのである。つまり「四メートル欠損即ち権利侵害事実」と観念するところから導き出された理由である。

ロ 「控訴人の通行権は十分に全うされている旨主張するが、違法な本件ブロック塀の存しているため、控訴人の通行権の円満な享受が阻害されていることは、右図面において、右ブロック塀が撤去された場合に控訴人が享受できる通行権の内容、行使の状況を比較すれば、一見して明らかである」(一〇丁表)と述べているが、この理由でいう一見明白とは、まさに端的に図面における幅員四メートルの線に比べれば現況線の三メートルの方が狭いことは図面上一見して明らかであるというのであり、やはり「四メートル欠損即ち権利侵害事実」と観念するところから出ている理由である。

三 なお判決理由の内の設定事実を述べる部分ではなく、請求の当否を検討する部分に「具体的には、通行の不自由、消防活動の不円滑の恐れを強いられている等」(九丁目)と記載されている部分があるが、もちろん原審はこのような事実を具体的には認定していないのである。

第二(その余の事実は不要――原審判断その二)

第一項に述べた通り原審は設定事実とその検討の項の中で「法定幅員欠損即ち権利侵害事実」、「通行の自由権すなわち四メートル道路の通行の保護」との趣旨を繰り返し述べているのであるから、これだけからでも、四メートルに欠損してさえいれば、どのように通行権を妨害するかとか、どの程度妨害するかとかを事実認定したり、それがどう権利を侵害しているかを検討評価したりする必要がないと考えているのであろうことは十分推論することができる。しかし原審はこのように推論できることを推論させるに留まらず、明確断定的にその余の事実認定不要と述べている。すなわち「建築基準法の定める基準は最低のものである旨法定されているのであるから、被控訴人の見地からして、通行が自由にできるとか消防活動に妨げがないはず等々ということを考慮する余地は本来ないのである」(一〇丁裏)と述べ、上告人の消防活動が十分にできる旨の主張そのものを失当だとして排斥している。ここに至ってますます原審の見解は明白になり、被上告人の通行の自由権は法定幅員の道路の通行の保護そのものであり、この幅員が欠損していれば、その余のいかなる具体的事実を判断する必要もなく、妨害排除請求ができるとするものである。

第三(判例違反であって、判決に影響を及ぼす法令違背――上告理由の一)

本件事案に当てはめるに適当な最高裁判所の判決は昭和三九年一月一六日第一小法廷の為した村道共用妨害排除請求権に関するもの一例のみである。しかし建築基準法の反射的利益としての通行の自由権を認めた下級審判例はいくつかある。本件の場合右最高裁判例とそれに連なる下級審判例を検討する必要がある。そしてまずその結論からして言えば、公法の反射的利益として通行権の内容について、公法の法定内容そのものが権利の内容であると解釈する判例は一例もない。従って公法規定違反事実をストレートに権利侵害事実と即断することもない。いずれの判例も右通行権に基づく妨害排除請求権の当否についてはその事案のごとの具体的な状況下での妨害の程度等を事実認定している。上告人も公法由来の通行権を認めるとしても、それは公法由来の生活利益を保護せんとするにあるから、権利の内容も個々の国民の個別の生活環境との関わりあいにおいて認められるべきであり、単に建築基準法の法定内容そのものでないと考える。

従ってまず、原判決の「四メートルの幅員の道路の通行が民法上保護する権利の内容である」と理解した点は左記の最高裁判例や下級審判例に違反し、建築基準法第一条、第四二条二項と民法(原審は法条を揚げてないが殊にも七一〇条)の法理を誤った法令違反があり、この違反が本判決に影響を及ぼしていることは明らかであるから、民事訴訟法第三九四条の上告理由がある。(建築基準法一条については第六項に述べる)

以下判例を検討する。公法の法定内容そのものが私法上の権利の内容であるとする法理があるかという法令解釈の点と、公法違反事実以外に具体的に侵害事実の認定をする必要があるかという事実認定の点の二点について検討する。

1 まず最高裁判例について検討する。

最判昭和三九年一月一六日(昭和三五年)(オ)第六七六号一小)

この最高裁判所判例はまず村道につき上告人が日夜どのような内容で通行使用しているか、またその量はどの程度であるか、それに対し被上告人の通行妨害行為がどのようなものであるか等についての上告人の主張を詳細に掲げている。

そして判決要旨の第二点目に「もし、上告人の主張にして真実に合致するならば、上告人らは被上告人に対し所論妨害の排除を求め得べき権利あるやも計り難いのである。然るに原判決は上告人ら主張の事実関係については十分に審究を尽さず」と述べている。この要旨では明らかに上告人ら主張の事実が真実に合致するならばと言っているのであるから、その上告人の主張する村道通行態様、頻度、これに対する妨害行為及び妨害の実態について真実に合致するかどうか認定すべきであるとしていることになるから、最高裁は具体的な通行妨害事実の有無について認定することが必要であるとの見解に立っていることは明らかである。また「真実に合致するならば、…権利あるやも計り難いのである」と述べているが、これは真実に合致するからと言って直ちに排除を求め得ると即断することも差し控えている。「あるやも計り難い」と言っているのであるから、真実に合致して妨害行為が公法に違反しているとしても、それを直ちに妨害排除請求権の根拠であると権利の内容を理解していないことは明らかである。

2 ついで高裁判例について検討する。

(1) 東高昭和四九年一一月二六日(判時七六八号三二頁)

本判例は建築基準法四二条一項五号による位置指定を受けた道路につき、その出入口に木柵を設置し、通行を妨害したという事案につき、「(右の最高裁判例を引用し、公法由来の通行権につき、民法上保護するに値する自由権を認めつつ)、しかし、他方、私道権利者がその道路の管理・保全のためにこれに側壁等の工作物を設置する権限を有することをも考え併せるならば、具体的にその工作物の除去をどの程度まで認めるかは、結局右工作物の形態・構造、それによる通行妨害の態様のほか、これに接道する敷地保有者(一般第三者)の生活、敷地利用、他の通行手段等諸般の事情を勘案し、その通行、出入りの必要性相当性に即して決することになるものと解すべきである」とし、具体的な通行侵害事実の認定を必要とすると判示している。

更に進んでこの判例は「ところが、道路内に右のような構築物を設置することによって法定の幅員四メートルを事実上狭めたとすれば、それは同法四五条の規定する私道の変更に該当する行為と言うべきであるから、この点の基準法違反の責めは免れないことになる。しかし、右違法行為は同条に規定する特定行政庁による禁止または制限、あるいは法九条の規定による除去命令等公法上の是正措置に待つべきものであって、控訴人の前記借地権等及び自由権に基づく除去の請求が前述のような理由によって排斥された以上、そのほかに右基準法上の違反を理由に控訴人が直接排除を求めうる性質のものではない」と断定し、公法建築基準法の法定幅員が直ちに自由権の内容になることはなく、したがってまた公法違反すなわち権利侵害事実というストレートの認定もありえないことを明言している。

(2) 東高昭和五九年一二月一八日(判時一一四一号八三頁)

本判例は建築基準法四二条二項違反のブロック塀につき、

「被控訴人の本件ブロック塀設置は建築基準法上違法であるというべきである。

しかしながら、右違法性はあくまでも防災、公衆衛生等公益上の行政目的に照らして制定された公法たる性格を有する建築基準法の関連で認められるものであって、民法上所有権の行使が権利の濫用にあたるか否かについては、単に建築基準法との関連からだけではなく、従前の通路部分の使用形態、いわゆる袋地の取得の経緯、いわゆる袋地所有者の通行の必要性と囲にょう地所有者の被害の程度、地域の特殊性、その他諸般の事情を斟酌して判断するのを相当とする」と述べ、妨害排除請求を認めるかについては単に建築基準法違反の事実だけでは足らず、多くの諸般の事情を斟酌して判断すべきであると具体的な侵害事実の認定を必要としている。またブロック塀が建築基準法違反事実であると言っておきながらそれをストレートに権利侵害事実とはせず、建築基準法の法定幅員が通行の自由権の内容そのものであるともしない。

(3) 東高昭和六二年二月二六日(判時一二三三号七五頁)

本判例は建築基準法による道路位置指定を受けた土地に設置された工作物について通行の自由権に基づく撤去請求を求める事件についての第二審であるが、第一審の東地判昭和六〇年五月九日(判時一二〇一号一〇〇頁)の理由を認めており、その第一審の判決理由では「以上の諸点を考え合わせれば指定道路上に構築された建築基準法違反等の工作物については、その工作物の形態、構造、それによる通行妨害の態様、工作物の除去を求める者の立場、他の通行手段の有無等の諸般の事情を検討した結果、その侵害態様が重大かつ継続のものである場合には、通行の自由の妨害に対する排除請求権によって右工作物の除去を求めることができるとするのが相当である」としており、本判例も建築基準法違反の工作物について具体的な通行妨害態様等について諸般の事情を勘案すべきであるとしており、建築基準法違反がストレートに侵害事実であるとか、建築基準法法定幅員が直ちに保護されるべき通行権の内容であるとの法理を採用してはいない。

3 次いで地裁判例について検討する。判旨はいずれも右2の高裁判例と同じであるので、改めて解説はせずその判旨を掲げる。

(1) 東地昭和五七年一月二九日(判タ四七三号一六八頁)

「(建築基準法上の位置指定処分の反射的利益に基づき、通行利益といえども民法上保護するに値する自由権であると認めた上で)そこで、通行の自由権に基づき具体的に通路上の工作物の除去をどのていどまで認めるかは、結局工作物の形態・構造、それによる通行妨害の態様のほか、これに接道する敷地保有者(一般第三者)の生活、敷地利用、他の通行手段等諸般の事情を勘案し、その通行、出入の必要性・相当性に即してすることになるものと解すべきである。」

(2) 東京地判昭和六〇年五月九日

本判例は前記高裁判例(3)が引用した判例である。

(3) 東京地判昭和六二年一月一二日

「(公法上の規制による反射的利益であっても、通行の必要性と継続性がある場合は、私法上も保護されるべき法的利益たりうるとして)そして、右の場合に、通行の自由に対する妨害の排除または予防を請求することの可否については、当該工作物の形態及び構造、それによる通行妨害の態様、私道に接地する敷地保有者らの生活並びに敷地及び私道利用の態様、代替の通行手段の有無等諸般の事情を勘案し、侵害の態様が重大かつ継続のものである場合にこれを請求できるものとすべきである。」とし、具体的には「本件工作物はその構造及び用途からして継続的に本件私道上に設置され、被告天野が空瓶、空箱を出し入れすることが予定されているものであって、それ自体倒壊の危険や空瓶の破損の危険もあるうえに、本件私道における自動車の通行を困難にし、ひいて両被告らの徒歩による通行にも不便と危険を生ずることが認められるのであるから、たとえ両被告らが現在自動車を保有せず、徒歩通行をなすのみであるとしても、本件工作物の設置により予想される被告清水及び同勝又の通行の利益に対する侵害は、重大かつ継続のものというべきである。」としている。これは被告が酒類販売の営業上、ビール、酒の空瓶等、合計約二、四〇〇本を積み重ねる目的で建てる建築物についてであった。

第四(理由不備――上告理由の二)

原審は道路幅員三メートルを侵害事実とするのみで、被上告人の公法由来の通行の利益をどう侵害しているかについて具体的事実を摘示することなく本件ブロック塀の撤去を命じた。

建築基準法由来の通行利益を民法上の通行の自由権として保護する場合に、その権利侵害の事実について今日の最高裁判所判例、高裁等の下級審判例の判断を取り、具体的にその侵害事実を認定することが必要と解するべきであるから、その判断を遺脱してブロック塀撤去の主文を導いている原判決には民事訴訟法第三九五条第一項第六号の理由不備の違法がある。

即ち

1 第一審判決はその事実認定の中で「原告建物から公道への通行に現実的な支障は生じていない」と認定し、請求の理由の当否を検討する部分で「原告建物からの本件道路の通行に現実的障害はないものであるから」としている通り、本件道路には被上告人の通行に現実的な障害はない。

2 しかも被上告人は本件の工作物撤去請求をするにあたり第一、第二審を通じて単に建築基準法違反を主張するのみで、何ら具体的な通行妨害の事実を主張、立証し得ないでいる。

3 中野区の職員那須が、第一審法廷で中野区の行政上の具体的判断を詳細に述べている通り、本件道路の現状については黙認をしている(この黙認を原判決は行政庁の漫然放置と断定しているが、この点については後に述べる)。

右の各事実があるのだから、殊にも1の第一審判断があるのであるから、もし被上告人の工作物撤去の請求を認めるつもりであるならば、被上告人の具体的な通行の妨害について諸般の事情を判断して第一審の判断を排斥すべきであった。これをせず単に「四メートル欠損すなわち通行妨害」と観念して、被上告人の請求を認容したのは理由不備の違法がある。

第五(物権法定主義違反――上告理由の三)

最高裁判所が認めた自由権は公法由来の生活利益を民法上保護しようとするものである。従ってその自由権の侵害についても、生活利益をどの程度侵害したかという生活利益との具体的な関わりあいの判断を通じて行なわれることになる。生活の利益という概念も自由権という概念も、どちらもその範疇は時と場所あるいは場合により膨らんだり縮んだりする弾力性のある概念である。

しかるにもし右自由権が原判決の言う通り「法定道路幅員四メートルの通行の保護であり、幅員欠損はその余の事実を判断するまでもなく直ちに権利侵害である」とするならば、それはもはや弾力性のある自由権的な権利ではなく通行地役物権そのものと言わなければならない。

即ち

一 「道路幅員四メートル」とは土地そのものの本質的属性に関する定義であり、しかも四メートルという数字は二義を許さない(四メートルとは誰がどう測っても四メートルであり解釈の余地はない)。

二 そしてその土地の本質的属性に関する二義を許さない法定事項に違反した場合には、その余の事実を判断するまでもなく権利侵害である。

これは既に通行地役権そのものに外ならない。公衆一般に与えられた通行地役権ということになるが、実質的には本件のような袋地においては、結局袋地所有者に対する通行地役権に外ならない。換言すれば、もし本件道路に四メートルの通行地役権があったと仮定した場合と原判決で認める通行自由権との間に、その権利行使において如何なる消長も認められない。

しかれば原判決の通行に関する自由権についての理解は民法第一七五条の物権法定主義に違反する理解と言わなければならない。そしてこの法令違背は直ちに上告人の土地所有権の行使に重大な影響を及ぼし、従って本判決の主文に影響を及ぼすから、民事訴訟法第三九四条の上告理由がある。

また「反射的利益」という概念についてであるが、同概念はもともと「だから私法上の権利を取得したものと解することはできない」と権利主張につき抑制的な働きをする概念である。しかし原判決のように建築基準法第一条を通行の自由権を認める重大な指導原理とすることになると、この反射的利益という言葉は単に行政法の法定内容を民法上の権利内容に転嫁する為の、第一段階の橋渡し的機能しか果たさないことになる。

第六(建築基準法第一条の趣旨について)

一 原判決が通行の自由権について、法定幅員がそのまま権利の内容であると理解する根本的な理由は、建築基準法第一条で同法中の基準が最低保護基準であるとうたっているところにある。最低の基準なのだから、その基準を割り込んだ状態は最低以下の状態であり、行政が反射的利益として一般公衆に授けたいと思っている生活利益を損なっている。最低保護なのだから、それ以下は権利侵害であるというのである。しかしこの建築基準法第一条で目的として掲げている最低保護の趣旨が原判決のいう通り、ストレートに民法上の権利内容として導入されるべきかどうかについては多くの疑問の残るところである。それはまず

イ 先に述べた通り、建築基準法に基づく反射的利益を私法上の権利として保護する下級審判例の流れの中にあっても、この第一条の最低保護規定を直接持ってきて、権利内容を確定する指導原理としている判例は皆無である。

ロ 建築基準法はその法律の名前が「基準法」としている通り、建築行政上の基準を設定する法律である。そして建築行政が対象とする地域は日本国中に及び、その地域ごとの具体的事情を万遍なく考慮した規定を設けることは不可能であるから、最低の保護といっても建築行政上ある種の公約数的な理想的環境を観念し、それを基準法として規定してと考えることもできるのである(「ある種の」とは、例えば道路は広ければ広いほど良いかも知れないが、建築行政的な意味での道路としては四メートルあれば良いとするものである。そしてもっと大きな幅員の道路については道路行政というまた違った観点から規定することになる。又、「理想的環境」とは例えば東京のように生活に不可欠な公道間を結ぶ貫通道路でさえ三メートルに満たない箇所が随所ある都市では、その現状を前提にして消防活動の十全を図っている現実もあることは否めないのである。そうであれば建築基準法にいう最低の保護とは、最低とはいっても重大な侵害のない限り性急に実現されなければならない保護ではなく、数十年かけてその法規の行使に緩、厳の行政的手腕の弾力性をもって徐々に達成させるいわば理想的環境ともいえるのである)。従って建築基準法の規定している基準に達していない過密な地域もあれば、建築基準法を云々する必要がないほど過疎な地域もある訳である。そういう意味では建築基準法第一条のいう最低の保障とは、右に述べたような、あくまでも建築行政上の見地に立った公約数的保障の意味であり、数十年をかけて徐々に達成されることが望ましい数字であり、あたかも生存権の如き意味での今直ちに実現されなければならない最低保護とはまたおのずから意味が異なるのである。しかるに原判決は建築基準法の最低保護を、いわば生存権にも匹敵するが如き意味の最低保護の意味合いにとっており、これは建築基準法の立法趣旨と異なる法律効果を期待するものであり、同法を誤解したものである。

二 また事実認定に関しても、原判決が幅員四メートルの欠損のみで侵害事実と認定しているのは原審の認識としては個別的、具体的事情を勘案していない訳ではないという。つまり「具体的な国民を捨象したものではなく、個々の国民の生命、健康及び財産の保護が当然の前提として意図されているのであり、」として個々の具体的な国民を前提としてはいるけれども、それが最低保障であるがゆえに、どの国民のこの国民と個別的事情を勘案する必要はないと言っているのである。その論旨が何を言わんとしているかは分かるが、しかしそれはやはり、結局は具体的な国民を捨象している見解である。前掲した最高裁や高裁等下級審でいうところの具体的な個々の国民というのは、まさにその事案ごとの当事者としての国民のことである。

第二章、第三章〈省略〉

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